もし、2060年の日本を振り返ったとき、私たちはどのような社会に生きているのでしょうか。
人口は今より大きく減少し、多くの地域では担い手不足が深刻化、企業や産業、伝統技術・文化のあり方そのものが残ったものと消えてしまったものに分かれる局面をすでに迎えつつあります。その分岐点は、未来の話ではなく、まさに今この時代の選択と行動の積み重ねにあります。
現在の日本経済は、緩やかな回復基調にありながらも、世界情勢の不安定化や地政学的リスク、技術革新による産業構造の変化など、多くの不確実性を内包した状態が続いています。こうした環境の中で、企業や店舗、ブランド、そして伝統技術・文化を担う方々には、自らの価値をどのように社会へ伝えていくのか、改めて向き合う機会が増えています。自らの価値を、誰に、どのように伝えているのか。映像コンテンツが企業や組織にとって「強力な資産」であるという事実は、ここ数年で何ひとつ変わっていません。むしろ、その重要性は年々高まっています。人々は、文章を読む前に映像を見て、説明を聞く前に空気を感じ、理解する前に共感できるかどうかで、その企業や仕事、商品や文化に関心を持つかどうかを判断するようになっています。「映像で見てから判断する」という行動は、一部の若年層だけのものではなく、あらゆる世代、あらゆる場面に広がっています。
採用、販促、広報、営業、ブランディング。その全てにおいて、映像は「最初の判断材料」として重要な役割を担うようになりました。これから先、企業や店舗、伝統技術や文化の価値は、ただ存在しているだけでは伝わりにくくなります。自らの言葉と視点で、仕事や物の意味や価値、楽しさや誇りを継続的に発信する積み重ねこそが、選ばれ続ける存在でいられるかを大きく左右するのではないかと考えています。発信が十分でない場合、本来伝えることができたはずの魅力が届かず、結果として選択肢から外れてしまっているとすれば、それはとても惜しいことではないでしょうか。特に日本を支えてきた中小企業や地域産業、伝統技術・文化の分野では、こうした影響がより強く表れやすい状況にあります。
高い技術があり、
確かな品質があり、
長い歴史と誇るべき想いがある。
それでも、それらが十分に伝えられていなければ、後継者不足や担い手不足といった課題に直面し、結果として、その価値が社会に認識されないまま姿を消してしまう可能性も否定できません。これは能力や価値の問題ではなく、伝え方の構造が時代と合っていないという問題です。映像が持つ最大の価値は、言葉や写真だけでは伝えきれない空気感、緊張感、人の表情やそこに込められた熱量を直感的に、そして誠実に届けられる点にあります。「なぜこの仕事を続けているのか、何がこの仕事を特別なものにしているのか」その答えは、多くの場合、映像の中にこそ宿ります。発信とは、売り込むことでも、飾ることでもありません。自分たちの仕事や文化に、自ら意味を与え、それを他者と共有し、未来へとつなげていく行為です。何を記録し、何を伝え、どのような形で残していくのか。その一つひとつの選択が、これから先の企業や文化の姿を形づくっていきます。
もし、2060年の社会で、
「この仕事が残っていてよかった」
「この技術が受け継がれていてよかった」
そう思われる存在でありたいと願うなら、今、何を記録し、何を伝えていくのか。その問いに向き合うことこそが、今という時代に求められている重要な一歩なのではないかと確信しています。映像は、単なる広報手段ではありません。それは、企業や文化の存在を証明し、未来へ手渡していくための確かな記録です。